今まで「自分の誕生日」は、なんとなく「自分にとって悲しいことだけは起こらない日」だと思ってた。実際、今年の誕生日は誰かから怒られたわけでも、嫌な言葉をかけられたわけでも、悲しい出来事があったわけでもない。 むしろ、友達からおめでとうのLINEを受け取ったし、FCからメールもいただけたし、去年の誕生日とさほど変わらない1日だったと思う。だけどめちゃくちゃ泣いた。
自分が本当に情けなくて、先のことが真っ暗なような気がして、いつまでも先延ばしにしている自分のだらしなさに落胆して、仕事がうまく進められなくて、この年齢になっても何もできないダメ人間な気がして、人目につかないようにめちゃくちゃ泣いた。(めちゃくちゃ目腫らしてたけど)
ただ、次の日から劇的に状況が良くなったわけでもないのにケロッとして、いつも通り仕事した。涙が出そうにもならなかった。慣れない、量もそこそこ多い仕事に対して、気持ちが耐えられなくなったのがたまたま私の誕生日だったってだけなんだろう。
歳の節目をあまり気にしない私だけど(歳を重ねるのは嫌だけど)、7年前から今の自分の年齢になる日をカウントダウンしていた気がする。同じ歳になった時、自分は何を思うのか、何か分かるのか、多分何もわからないだろうと思ってたし、実際何も分からない。当たり前だ、 私とは何もかも違う、共通点は人間であることと今の年齢。それに私は何も知らなすぎる。
今年の誕生日を迎えるまでは、この年齢に何か意味付けされるものだろうと思っていたけれど、いざなってみると意味付けできないと実感した。あと、「意味付けをする」って自分勝手で、時には失礼にあたることでもあるし、怖いことだと思うようになった。自分にとっても「意味付けをする」ことはリスクが大きすぎると、ここ最近感じるようになった。もしかして、気づくのが遅すぎた?
7年前、不安だった。だけど、自分が不安に思っていたことは今のところなさそうだし、楽しみを見つけながら生きている、それが分かっただけでも良かったと思いたい。
数ヶ月先の自分のスケジュールが組めないだけでも生活リズムにやや支障が出るくらい、先のことが見えないと不安になる。ずっと「不安」が離れなくて、周りの人からの「大丈夫」「何とかなる」の言葉がないと進めない。経験を重ねてもずっとこの調子だ。このままだと、いつか「不安」に負けて、誰かに頼らないと生きていけない人間になっちゃうよね、それは嫌だ。
強くなくていいけど、ただ気楽にいたい。気楽に思える思考が欲しい。できるかな?多分できる、それに、できなくてもきっと何とかなる。今まで何とかなってきたように。
必ず書き残そうと思っていた今年の誕生日。
想定外だったけど、普段願うことをより強く願った誕生日だった!